マルクスは「資本論」の中で、
あるものの有用性が使用価値となる。われわれが考える社会形態の中では、商品の使用価値は同時に交換価値の素材的な担い手である。
と言い、資本主義を構成する商品には「使用価値」と「交換価値」の2つがあると言っています。
「交換価値」は商品を交換する時に、どれくらいの量の商品と交換したらいいかという「量」の問題として現れる価値です。
たとえば、鉛筆5本とメロンパン2個を交換しようという場合、お互いが相手のモノを欲しい思い、お互いが持っているモノの価値が等しいと思っていれば交換できます。
ただし、ここで重要なのは、交換したいという欲望が一致すれば確かに交換できますが、「どれくらいの量が等しいか」という「量」の問題を考えなくてはならないということです。
商品を交換する場合、互いの商品になんらかの共通項があるから交換できるという関係が成り立ちます。
鉛筆5本とメロンパン2個に共通するものは何でしょうか?
それは「労働」です。
鉛筆を作るにも労働が必要です。メロンパンを作るにも労働が必要です。
つまり、「どれくらいの量が等しいか」を考える場合、「どれだけの労働を費やしたか」という視点で考えるということです。
量 → 労働
そして、お互いの労働の量(価値)が等しいと思えば、商品を交換できるということです。
マルクスはこれを商品の「交換価値」と言っています。
さらに、この労働の価値を広げて考えてみます。
たとえば、
鉛筆5本=メロンパン2個=カップラーメン2個=文庫本1冊=ペットボトルのお茶2本
などという風に。
この等式はどんどん広がり永遠に展開していきますが、これらに共通しているものは「労働」の「量」です。
マルクスはこのような考え方を「労働価値説」と言いました。
「労働価値説」では、すべての商品はそれに費やされた「労働」の「量」に応じて交換することができるとされています。
そして、交換を繰り返しているうちに、最終的に行き着くのは「金(きん)」との交換です。