ニーチェの生い立ち、生涯

ニーチェの生い立ち、生涯

1844年、ニーチェはドイツの田舎町で生まれました

お父さんもお母さんも牧師の家柄でした。

ニーチェは少年時代から大変な天才で、学校の成績が良いだけではなく、自分で詩も作るし、文学も作るし、なんでもできてしまう子でした。

特に、大学の時に勉強したギリシャ文学の古典を勉強する学問「古典文献学」では抜群な才能を発揮しました。

そして、若干24歳にして、スイスのバーゼル大学の教授になりました。これは当時としては、ものすごく異例なことでした。

ニーチェの人生を振り返ると、この頃は栄光の日々でした。

しかし、この栄光の日々は長くは続きません・・・。

1872年、ニーチェが27歳の時に彼は始めて「悲劇の誕生」という本を書きました。ニーチェの第1作です。

悲劇の誕生 (岩波文庫)
悲劇の誕生 (岩波文庫)

しかし、この本は学会から全く認められませんでした。

なぜなら、「古典文献学」では文献をきっちり調べて書かなくてはいけないのですが、この本でニーチェがやったことは自らの芸術論を全面に表現したからです。

エリートとして出発したニーチェでしたが、この時から転落の人生がはじまりました。

その後、体調も悪くなり、とうとう大学での教授の仕事も続けられなくなり、スイスやイタリアなどをめぐりながら、売れない原稿を書くという孤独な生活を送ります。

この孤独のさなかの1881年、スイスの山奥を歩いている時に岩を見て、「永遠回帰」の思想がバーンとひらめいたと言われています。

その翌年の1882年、ニーチェはルー・ザロメという知的なロシアの美女に恋をします。

しかし、ニーチェの友達もルー・ザロメのことが好きで、三角関係になってしまい、おまけに、友達とザロメが上手くいってしまって、ニーチェは大失恋をしました。

けれども、そこで恨んではいけないというので、翌年1883年に書き始めたのがニーチェの代表作と言われている「ツァラトゥストラ」です。

それからあとも、ニーチェは「ツァラトゥストラ」の思想をもっと分かりやすく解説した本を次々と書くが、全く売れませんでした。

そして、ニーチェは1889年に突然倒れて精神を病み、1900年に55歳で亡くなってしまいます。

「ルサンチマン」の意味、ルサンチマンは喜びを感じる力を弱くするに続く »