2500年の昔から以下の「3つのたい病」があります。
(1)金持ちになりたい
(2)えらくなりたい
(3)有名になりたい
人間なら誰もが持っている「3つのたい病」。
普通ならこの「3つのたい病」を否定したくなりますが、欲を否定するのも欲求です。
だから、孔子はこれを全否定はしていません。
<否定>
君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。
立派な人は正義を中心に生きる。こざかしい人間やケチくさい人間は金ばかりを追っている。
<肯定>
富にして求むべくんば、執鞭(しつべん)の士と雖(いえど)も、吾(わ)れ亦(また)これを為さん。
もしお金でもって自分の理想が適うならば、自分は最下底の仕事をやってでも金を稼ぐぞ。
<否定>
ケチな人間とは一緒に仕事をしたくない。
ケチな人間は「出世、出世!」と口に出すのは出世のことばかり。
出世しないと愚痴ばかり。
逆に、いったん出世するとなると、その地位にしがみつこうと、同僚をけ落とすは、地位のためなら悪さをしかねない。
<肯定>
どこかの王様はワシを首相のような地位に就けてくれないかのぉ〜。
たった1年でもいい。
3年も就けてくれたなら、みんながビックリするような国にするぞ。
孔子は決して控えめに「出世は必要ない」と考えるような人間ではありませんでした。
むしろ、自分を買ってくれる人間なら積極的に打って出るという面もありました。
<否定>
世間の人が自分の才能を認めてくれなくても、なんとも思わない。
縁の下の力持ちが立派な人間の態度。
<肯定>
40、50歳にもなって世間に名前が知られていないなんて、こいつは大きな人間とは言えないな。
欲望の「3つのたい病」を否定するだけでなく、肯定もした孔子ですが、それはある大切なことを守るならという条件付きでした。
ある大切なこととは、「論語」の中の次の1節にあります。
富と貴(たつと)きとは、是(こ)れ人の欲するところなり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。
「富(金銭欲)」と「貴き(出世欲)」はどんな人間でも持っている。正しい方法によって「富(金銭欲)」と「貴き(出世欲)」を得るのでなければ、私はそういう所にはいたくない。
つまり、「目的と手段を取り違えてはいけない」「過程と結果を取り違えてはいけない」ということです。
お金儲けも出世欲も孔子は否定していません。
では、なぜお金儲けをするのか?
それは「何かを買いたい」「どこかに行きたい」などといった「目的のための手段」のはずです。
しかし、人によっては「目的のための手段」を「金儲けのための手段」としてしまう人もいます。
そんな人は、頑張ってお金を儲けても何に使っていいのか分からなくなってしまう。
同じように、「あれは素晴らしいことだ」と皆が認めていることを達成した結果、有名になったなら大いに結構。
しかし、有名になりたいばかりに、何か変わったことをやろうというのは単なる売名行為となってしまう。
目的も手段も両方とも正しくなければ、正しい行為は得られないというのが孔子の考え。